コラム(老いの戯れ言)

Column

ホームページを開設しました

令和7年7月9日に司法書士登録し、同月24日に開業しました。
開業から一か月後の8月25日にホームページも開設できました。
今度の誕生日で、還暦のオールド、新米司法書士ですが、よろしくお願いします。
ここでは、業務とは関係ないことを呟きますので、あまり気にしないでください(笑)

※ なお、特に原典にあたらず、徒然に書いてますので、事実誤認や勘違いが多々あると思いますが
 ご容赦ください。(2025.8.25)

咳をしても一人?

年が改まるとともに、当地(山口市)も急に寒くなった気がします。
インフルエンザも、まだまだ流行しているみたいですし、年齢を重ねると理由もなくついつい咳き込むことも多くなります。

さて、タイトルの「咳をしても一人」は、自由律俳句の尾崎放哉の有名な句ですが、
この句は、咳をしても、その音が響くだけで、咳き込む放哉に声をかける人が周りには誰もいない寂寥感を表現していると巷間では解説されています。

個人的には、「も」よりも「こそ」ではこの句は成立しなかったかなぁとずっと考えています。
静寂に包まれる空間で、咳をすることによって自分の発した音によって自分が一人であることを内省する・・・
なんて、咳をしても周りの誰にも声をかけられない年初めです(-_-;)(20026.1.1 小田村清)

こぞことし貫く棒の如きもの

今日で2025年、令和7年は終わります。
今年は昭和でいうところでは100年、昭和を体現する長嶋茂雄氏や尾崎将司氏も亡くなられて
本当に昭和という時代が終わったと感じている人も多いと思います。

大晦日と元日との一日は、物理学的な時間の流れからすれば同じなのでしょうが、
いつもとは違う特別なものを感じてしまいます。
そんな中、高浜虚子は、曲がらない己の信念を表すような句を詠んでいます。

時は移ろぎ、決意を新たにすることも多々ありますが、数日すれば元の黙阿弥になってしまう身です。
今度こそはと思いつつ、暦が還ってしまいましたが・・・
正月は冥途の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし(一休宗純)(20025.12.31 小田村清)

欲するところか、欲せざるところか、それが問題だ?

聖書には、「汝の欲するところを、人にも行え」という黄金律があるらしいです。
その一方で、論語には「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」とあります。

通常は、後の言葉を肯定的にいえば、同じ意味になるという解釈で、
「自分がされて嬉しいことや楽しいことを周りの人にもしてあげましょう」と教育されてきました。

しかしながら、今の自分なら二つの言葉の意味するところは、大きな隔たりがあると思います。
聖人なら自分が欲するところを他人に施したなら感謝されるかもしれませんが、
ワタシのような凡人がそんなことをすれば、周囲から大きなお世話と非難されるでしょう(笑)
煩悩具足の身は、せいぜい自分のして欲しくないことを周りの人にしないことが無難ではないでしょうか。
そんな気がします。(20025.12.19 小田村清)

忘れるということ

「汗は自分でかきましょう。手柄は人にあげましょう。」
は、故竹下総理の人柄をあらわす言葉で有名ですが、これには続きがあって
「そして、それを忘れましょう。」
というのがあることを、先週号の週刊文春で知りました。
続きを言ったのは、藤田晋氏によると、日本テレビの元社長の故氏家斉一郎氏とのこと。

三角大福中の後の安竹宮世代で、忍従し気配りで有名であった竹下氏だが、実際に自分が他人に手柄を譲ったことを忘れているかは定かではありません。その後に佐川事件に関連して国会に招致されたときに、自ら経歴を振り返って「我罪、万死に値する。」旨証言していることからは、しっかりと覚えていたではないかと邪推してしまいます。

私自身は、自分が自分がというのは好きではなく、自己アピールに長けた人は苦手であるが、巳年うまれのせいか執着の念は強いなあと反省します。たいていの宗教では、執着せす喜捨することが尊いとされるみたいです。ただ、救いとしては、年齢を重ねて物忘れが多くなっていることでしょうか。(20025.12.17 小田村清)

足し算ではなく、掛け算???

今やお正月の風物詩として定着した感のある箱根駅伝ですが、
本格的なテレビ放映が始まったのは、昭和62年のお正月だと記憶しています。
もう、40年近く経つのですね。
なぜ、記憶しているかというと、自分が大学2年で体育の授業で割当てられたのが
「陸上」でその先生が石部教授でした。
その教授は陸上部の監督でしたが、専門は走り高跳びだったと言われてましたが、
授業の中でこのお正月から箱根駅伝がテレビ中継されると嬉しそうに話されていたからです。

そして、その当時も1万メートルの平均タイムが出場校でトップクラスで
長年の低迷からようやく優勝を狙えるところまで復活してきた時期でした。
その年は、往路2位、復路2位の総合3位という微妙な順位で、
その時からあまり母校愛がない自分ですが、箱根駅伝だけはしっかりと応援するようになりました。
昭和後期から平成初期にかけては、現在とは様相は違い、有力校といえば
逆転の順天堂大学、山の大東文化大学、留学生を擁した山梨学院大学、チーム力の神奈川大学
そして、臙脂のたすきの早稲田大学でした。
母校の中央大学は優勝には届かないものの安定の3~4位をキープしていたと思います。
最期の優勝は、平成8年でしたが、その時は有力校の神奈川大学、山梨学院大学が往路で途中棄権して
復路早々で早稲田大学を抜かして、9区、10区は原監督のいうピックニックランだったと思います。

それから、平成13年こそ、現藤原監督が5区での三つ巴を制して往路優勝したことはありましたが、
5区での途中棄権、予選会落ちなどしばらく低迷期が続きました。
優勝が期待された第100回大会は体調不良者のまん延で、まさかのシード落ち。

しかしながら、101回大会はまさに「足し算ではなく、掛け算」の走りで
1区で先頭に立つと5区途中までは首位という快走でした。

過度な期待は禁物なのでしょうが、令和8年は30年ぶりの総合優勝をテレビ桟敷で観戦できることを願っています。(2025.12.15 小田村清)

三人寄れば…

文殊の知恵という慣用句が思いつきますが、
日本政治思想史の泰斗である丸山真男氏によれば

日本人は一人であれば利口で、二人なら噂をし、三人となると派閥ができると記されてます。
よく、三人いれば二つの派閥ができると揶揄されますが、もしかしたら三つの派閥なのかもしれません。
派閥はいわゆる「世間」とある意味同義語の気もします。

私自身、日本人と一括りにされることは好きではないですが、
その一方で他人に接するときには、最初はその人の属性を気にかけてしまいます。

いずれにしても、一人であれば利口なはずなのに、複数になると付和雷同の性質が色濃くなってしまう気質が日本人にはあるということは、なかなか否定できない気がします。(2025.12.5 小田村清)

〇〇ながら考える

今日から師走で、今年も残すところあと一か月となりました。

私事ですが、今年は暦を一回りして、32年勤めた職場も3月に退職して、新たな道を歩み始めた変化の年となりました。
よく考えて動くべきか、先ずは行動すべきかは一長一短があるでしょうが、中庸を取って「歩きながら考える」というスタンスでいこうと思っています。

いささか大正ロマンス主義かもしれませんが、「歩きながら考える」というスタンスは英国の国民性を表しているらしいです。
ちなみに、仏国は「走った後に考える」、独国は「考えてから歩く」、米国は「走りながら考える」とか言われているみたいです。ただ、国民性という大きな塊で自分自身を分類されたくない思う人が多いのではないでしょうか。

近代哲学の頂点のカントは、毎日決まった時間に散歩してその思索を深め、街の人はカントの散歩で時計を合わせたという逸話があるそうです。60代の十年間は、ぼちぼち体を動かしながら脳に刺激を与え続けたいものです。(2025.12.1 小田村清)

〇〇忌

著名人、特に作家が亡くなった日をその人に因んで〇〇忌とすることが昭和には多かったです。
有名なところででは、太宰治の桜桃忌でしょうが、
先日の11月25日は三島由紀夫の命日で「憂国忌」でした。
その最後は、自衛隊の駐屯地に突撃して45歳という年齢で自らの命を絶ったという出来事は衝撃的なものでした。
氏は、生まれの関係で昭和と同じ年で、健在であれば昭和100年で100歳になります。

45年という人生の中で、氏の残した作品は膨大かつ深淵でもあります。
平成初期までは、著名な人物を対立させて「何々と〇〇」という形で論評するスタイルがメジャーでした。
よく比較されていた作家としては、太宰治、高橋和巳、安部公房などでした。
時流に乗ったものや純文学的なもの、内面を描いたもの等氏の対象としていた分野は多岐に及んでいます。

彼が何故にあのような最期を選択したのかは、凡人たる私にはわかりませんが、
彼の書いたもの自体はとても老成したものであり、今日の年齢の尺度では未だに理解されていない気がします。さ(2025.11.27 小田村清)

二季化する日本?

暦の上では、9月から11月までが秋で、ちょうど良い気温で活動しやすいいい季節という位置付けでした。
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉も、そういうことを意味していたと思います。

しかし、昨今の日本では、暑い日が長引いて、急に寒くなる気がします。
三重大学のある研究チームの調査では、この42年で日本の夏は約3週間延びたといえるそうです。
冬の長さ自体は変化がないので、いい季節といわれる秋、春が短くなっているのでしょう。

温室効果ガスの効果かどうかは、門外漢の私には分かりませんが、
とにかくいい季節といえる期間が短くなっているのは肌身に感じます。
このまま、二季化が進めば四季の移ろいを抒情的に表現する詩や短歌もだんだんと少なくなっていくかもしれませんね。(2025.11.19 小田村清)

○○を超えた

先日、大谷翔平選手が大リーグのMVPに満票で選出されました。
その活躍ぶりは、まさに現実を超えた物語の世界のようで、
ほんの数年前まで仮に漫画や小説などで彼の成し遂げたことを表現したとしたら、
そんな空想的なことをと簡単に片づけられていたと思います。

かつて、ドカベンという漫画で主人公の山田太郎が驚異的な打棒を発揮していましたが、
それは二次元の世界だからという暗黙の了解がありました。
しかしながら、大谷選手はリアルな世界でそれを凌駕してしまいました。
ましてや、彼は投手としても活躍していますので・・・
「ドカベンを超えたなあ。」と呟いたら、
ある人から「古い。それを言うならメジャーを超えたじゃない。」と言われましたが
個人的には「メジャー」でも十分古いと思います。(笑)(2025.11.16)

「ばけばけ」は化けるか

今回の朝の連続テレビ小説「ばけばけ」は、最初の頃は画面が暗く、オープニングの配役の字が小さいこともあり、
視聴していませんでした。

ただ、ヘブンの通訳・世話役の錦織役として、国宝の吉沢亮が本格的に登場するようになって、
そのまま視聴習慣がつきました。
そうすると、前作の「あんぱん」とは違った味わいに引き込まれるようになりました。
没落士族の未亡人の北川景子さんの物乞いは、凛とした中でとうとう頭を下げる姿は朝から切なさを感じざるを得ません。
これからも、切ない場面はあるのでしょうが、オープニングでの髙石あかりさん演ずるトキの心から幸せの笑顔が
一刻も早く放映されるようになるのを心待ちにしています。(2025.11.10)

同時代史と歴史

来年の大河ドラマの主人公は、豊臣秀吉の弟である「秀長」です。
現代においては、兄の秀吉が余りにも有名過ぎて、マイナー感が漂うセレクトだが、
こういう時の謳い文句が、知る人ぞ知るとか、最新の研究の成果では、すごく影響力のあった人物だったというのが多い気がします。

秀長自身が秀吉の偉大な補佐役であり、その当時に一角の影響力があったかは、
その時代を生きた人々にとっては事実であり、最新の研究の成果で分かったというのは首肯しがたいです。
まあ、歴史というのは、現代からみた過去との対話という見方だとすれば、それほど目くじらを立てる必要もないのかもしれませんが。

同時代では、隆盛を誇っても時の経過とともに、パラダイスが転換していき、一顧だにされないことは多々あります。
それを考えると、同時代史と歴史はまったく別ものなのだと納得できます。

蛇足ながら、秀長が長命であれば豊臣家の行末も変わっていただろうと言説も多々あるでしょうが、
秀吉の天下統一という一番華々しい時期に、世を去ったというのは幸せだったのではないかと想いを馳せます。(2025.11.4)

「わかる」ということ

「わかる」ということを考えていくと迷路に陥ってしまう・・・
辞書的な定義としては、「事実・内容・意味がはっきりとらえられるようになる。」より具体的には、「それを受け入れて扱う能力が身に付いている。」と書いてある(岩波国語辞典第三版)。
「分かる」とも書くように、与えられたことやモノに対して、今までの自分なりの知識や経験を基にして、自分の中に落とし込み、いわゆる「腑に落ちる」ということに近い状態なのであろうが・・・

ただ、ある本で著名な学者が恩師に「わかるということは、自分が変わること。」だと喝破されたエピソードがずっと頭から離れない。
そうであるならば、齢60を迎えようとしているが未だ「わかる」という経験はしていない。
我未だわからずということであろうか(2025.10.31)

10回目の・・・

昨日から今日にかけて、腎臓結石を砕く手術のため、入院してました。
カルテで確認してもらったところ、今回で体外衝撃波破砕術(ESWL)を10回目らしいです。

石といっても、どこにあるかで全然痛みが違います。
腎臓にあるときは、ほぼ無痛ですが、尿管に落ちて途中で詰まったりしたら、腎臓が腫れて激痛となります。
膀胱まで落ちると、後は排出されるだけですが、最後の難関が尿道です。
石の形がギザギザしていたりすると、尿道を通過するときに結構な痛みがあります。

世界三大激痛にも挙げられる尿路結石の痛みですが、犬や猫も罹患するらしいので、
いま日本全国を出没しているクマも罹患しないのかと、病院のベッドに寝ながら考えてました(笑)。(2025.10.30)

理由は3つ

コンピューター付きブルドーザーと言われた田中角栄氏は、
物事の決断や陳情等を捌くときに、相手に対してその理由を3つ挙げさせていたらしいです。

3という数に絶妙な塩梅を感じます。2つでは弱すぎるし、4つではぼやけてしまう。
本当に必要であれば、3つの理由はあるだろし、3つグルーピングすることで、思考の整理にも役立ちます。

大中小、守破離、知行合一など3分類を基にした言葉もたくさんあります。

話はずれますが、今年逝去された長嶋茂雄氏の現役時代の背番号も3でしたし、
パチンコでも3での大当たりは7よ同じで、確確だったと思います。

それはともかく、3は黒か白か、是か非かの二分法だけではなく、中庸的な思考を誘う数字な気がします。(2025.10.28)

大坂城を造ったのは、

言わずもがなで、豊臣秀吉でしょうと答えると、
少年期に、「違います。大工さんです。」と言われたことがあります。

しかし、この答えは意外と奥が深いような気がします。
通常、学校で習う歴史は為政者(勝者?)側からの視点で描かれている(これに対して批判は多数ありますが)ことが多く、
敗者や大多数の民衆はおざなりというか、いわゆるテストにはあまり問われません。

敗者からの視点や市井の徒についても一致するわけではないですが、
現存している大阪城が大阪市民の機運で復興したことからも、向こう岸から見る視点も必要なかもしれません。(2025.10.24)

※ しばらく、タイトルと内容がマッチングしていませんでした(-_-;)


こふくげきじょう

タイトルは漢字では鼓腹撃壌と書きます。

世の中が太平で、人々が平和な生活を送っている様子を表す四字熟語で、古代中国の伝説的な聖天子堯(ぎょう)の故事に由来しています。
人々が太平で平和な生活を送っていることを天子のお陰とは全く思っていない様子に堯が非常に満足したということです。

とかくに、今の時代はこれは自分がやったとかパフォーマンスが先行するというか、承認欲求が前面に出がちです。
上に立つ人は、堯のレベルは無理にしても、ノーブレスオブリージュの精神は持って欲しいものです。(2025.10.11)

過去に目を閉ざす者は・・・

今年は、第二次世界大戦後80年の節目の年です。
80年のちょうど半分の40年目の1985年に西ドイツのワイツゼッカー大統領が連邦議会で行った演説の中で「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる。」というフレーズは余りにも有名です。
このフレーズは、たいていの場合は日本がしっかりと過去に向き合っていないという論調で引用されています。
一方、過去は変えられないのだから、過度にこだわらないで未来的志向を考えるべきだという論調もあります。
確かに、現在は過去の結果であり、未来への礎でもあります。
過去の事実は客観的には変えることはできないでしょうが、今をしっかりと受け止め、考え行動することで、未来への展開のみならず、過去の持つ意味合いも変わっていくような気がする今日この頃です。(2025.10.9)

ガラスの天井

先の週末に日本でもガラスの天井を突き破る出来事がありました。
巷での予想とは違い、ある意味ではどんでん返し的な結果となり、後付的に色々な解説がされています。

もちろん、筆者も言われている3人の中では、一番可能性がないと思っていた人でしたが・・・

とにもかくにも、日本は法の支配する民主主義国家ですので、
この理念に基づいてより良き社会になっていくことを期待しています。
人治ではなく、違った意見にも寛容である・・・(2025.10.6)

ストーカーの忘れられないセリフ

タイトルの「ストーカー」はつきまとい行為とか意味するものではなく、
1979年のソビエト(懐かしい)映画を指しています。
監督は映像の詩人と呼ばれ、惑星ソラリスやノスタルジアのタルコフスキー氏です。

ストーリーとかは割愛しますが、この中で作家を演じているアナトリー・ソロニーツィンのセリフが忘れられないです。
正確ではないですが、大意としては、
「人がものを書くのは、悩み、疑うからであり、自分の価値を証明しようとするから。
もし、自分が天才だと知れ渡ってしまったから、必要なかろう。」
というものだったと思います。

映像の美しさが有名なタルコフスキー作品ですが、
自分としては、主人公やその周りの人が発する独白に何度もはっとし続けてます。(2025.10.3)

三新書の神器とは

今から45年前の昭和50年代半ばは、活字への信頼度が高い時代でした。
今では、自分の考えを容易に発信することができるようになりましたが、当時はそういう場が極めて限定的だったと思います。
いわゆる知的エリートが大衆を啓蒙していくということが多くの人に受け入れられていました(もちろん、賛否両論ありますが・・)。

その知的エリートへの登山口として、ある人から神器として紹介されたのが、三新書です。
今でこそ、あらゆる出版社から新書は出版されていますが、当時は新書といえば、岩波、講談、中公しかありませんでした。

それぞれが、当代一流の専門家などが、初学者(といっても、水準は高いですが)向けに名著を相次いで出版していました。
田舎の高校生にとっては、三新書は知の憧憬の対象でした。
初めて手に取ったのは、清水幾太郎氏の「論文の書き方」でしたが、結局、消化することができず、半世紀が経過しようとしています。
その他にも、中公新書では「アーロン収容所」(会田雄次)や講談社現代新書「タテ社会の人間関係」(中根千枝)などを背伸びして読んだことを思い出します。
最近も、魅力的なタイトルの新書が毎月のように出版されてますが、なかなか手に取らず、気づいたら絶版になっていることも多く、紙の本の寿命の短さを痛感する日々です。(2025.9.30)

あんぱん終了

本日、9月27日で朝のテレビ小説「あんぱん」が終了しました。
誰もが知っているアンパンマンの作者のやなせ夫婦をモデルにしたドラマで、久しぶりに夢中になって視聴させていただきました。
シナリオも配役も秀逸な作品でした。

朝の時間帯なのに、等身大の戦争の場面を何週にも渡って放送したのも印象に残っています。
「逆転しない正義」とは、そまざまな受け取り方があるでしょうが、やなせ氏は正義の価値の証明よりも、そういうことを考える土台そのものがこそが正義なんだと言われているような気がしました。(あくまでも、個人の感想です。)。

世間一般に広まった「アンパンマン」ですが、アニメ化されたときやなせ氏は69歳。何物でもない自分は今年60歳。まだワンチャンあるのかもしれません(笑)(でも、アンパンマン以前にやなせ氏は「手のひらを太陽に」の作詞家を始めとしてマルチな才能として有名でしたが・・・)(2025.9.27)

我妻栄と社会心理学

我妻栄といえば、民法学の泰斗かつ東大で岸信介と同級生であったことも有名である。

ただ、今回のコラムは我妻栄博士ではなく、博士の息子である我妻洋氏について触れたいと思う。
詳しく確認したわけではないが、著名な法律学者の子は得てして、親と同じ道、法律学を生業にしていることが多いような気がする。

そういう中で、民法学の最高峰に位置する我妻栄博士の息子さんが、法曹の道を選択せずに、
フロイトを一つの足掛かりに社会心理学、文化人類学の道を選択したことに興味を惹かれる。
その選択と父性へのアンビバレントな感情といわれるエディプスコンプレックスとはどう関わっているのだろうか・・

ただ、残念のことに偉大な父とは別の道で研究者として将来を嘱望される中、志半ばで洋氏は世を去った。享年58歳であった。(2025.9.25)

あんぱんロス目前

半年間に渡る朝ドラ「あんぱん」もあと一週になってしまいました。
今日の放送で、たかしの口から「アンパンマン」のモデルは、弟の千尋だというセリフがありましたね。

最終週には、いよいよキャラクターとして、やなせ夫婦をモデルとする
バイキンマンとドキンちゃんが生み出されるのが今から楽しみです。

また、たかしが求めていた逆転しない正義についても、ヤムおいちゃんに語っている場面が印象的でした。
牽強付会的な解釈としては、
真善美とかを人間が考えていくことができる前提を守っていくことではないかと思いました。
還暦を迎える自分が、いわゆる「戦争を知らない子供たち」なので・・・・。(2025.9.19)

漫画と現実

漫画の世界を超えた存在として、メジャーリーガーの大谷翔平さんは異論ないが、
プロボクサーの井上尚弥さんもそれに匹敵するといっても過言ではないと思います。

世界戦26連勝は現時点で歴代最高タイ記録ですし、まさに生きるレジェンドです。
同時代に、このような二人が存在するのはある意味奇跡とも言えるでしょう。

閑話休題、ボクシングの漫画といえば、
「あしたのジョー」「がんばれ元気」「はじめの一歩」などが有名ですが、
個人的には「リングにかけろ」に一番印象に残っています。

努力型の主人公高嶺竜児に対するライバルとして天才型の剣崎順との死闘で竜児が勝利をおさめた後に
花嫁衣裳の菊と竜児、順が燃え尽きたように3人で佇む場面がラストのひとコマだったと思います。
名作で間違いないんですが、印象に残っている理由の一つが
自分の記憶が確かなら、第一話で高嶺竜児が登場する場所が山口市仁保なんです。
しかも、仁保なのに、海辺の砂浜で姉の菊とトレーニングしていると場面に衝撃を受けました。
(仁保地区は山間部で海に面していないので・・・)(笑)

それはともかく、いきなりプロ第一戦で世界王者になるとかいう漫画世界を超えるようなリアルな活躍をされているのが、井上尚弥さんだと思います。(2025.9.18)

豆腐と中村梅之助

豆腐を食べると思い出す俳優さんがいます。
中村梅之助さんです。今では、中村梅雀さんのお父さんといった方が分かりやすいかもしれません。

大河ドラマの主人公村田蔵六(大村益次郎)役で、知の象徴なようなおでこが肖像画と瓜二つだったと思います。そんな冷静沈着な堅物なのに、シーボルトの娘イネ役の浅丘ルリ子さんと(たぶん)湯豆腐をじゃれ合いながら(?)美味しそうに食べている様子とのギャップが面白く強く脳裏に焼き付いています。
長州嫌い?といわれている司馬遼太郎さんが執筆した「花神」が原作のこのドラマは、当時としては視聴率はあまり振るわなかったみたいですが、個人的には凄く心に残っています。高杉晋作役を中村雅俊さん、その愛妾おうの役を秋吉久美子さん、桂小五郎役を米倉斉加年さんが演じているなど、配役が子供心にピタッとはまっていたような記憶があります。

また、遠山の金さんといえば、杉良太郎さんや松方弘樹さんが有名なのかもしれませんが、私的には気っ風がよく、小気味いい啖呵を切る梅之助さんが一番の当たり役の気がします。

生姜をのせた冷奴にしても、湯豆腐にしても美味しく、栄養価が高い豆腐、頭も良くなると言われ好んで食した幼年時代ですが、その効能がはっきりと分からぬまま、はや半世紀が経過しました。(笑)(2025.9.14)

カミは死んだのか

表題のカミはGod(神)ではなく、Paper(紙)という意味です。

デジタル化の進展が著しい昨今、日刊紙をとる家庭も減り、書籍もサブスクとかで読むのが当たり前になっています。
確かに、ピンポイントに探したいものを検索したりするのは、デジタルが効率的で無駄がないでしょう。

ただ、やはり紙にはデジタルにない有用性がある気がします。
先ずは、物理的に目に優しい。また、紙が持つ香りや手触りが嗅覚や触覚という人の有する感覚に働きかけること。
さらに、上手く表現できませんが、紙の書籍は効率的にたどり着けないからこそ、ついつい寄り道をしてしまう。
そんな、遊びという無駄があるのは、紙だと思います。と、デジタル化に乗り遅れてしまった既にカミ(髪)が死につつある初老の戯れ言です。(2025.9.11)

歴史は繰り返すか

「歴史は繰り返す」と言ったのは、ヘーゲルで、これに続けて「一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」と続けたのはマルクスらしいですが

身近な出来事だろうが、世間をにぎわす出来事であろうが、過去に実際に起こった出来事と何かしらの類似することはあると思います。
類似する点をどう評価するかで、悲劇なのか、喜劇なのか、そもそも繰り返されているのか分かれてしまうのかもしれません。

今、世間で話題になっている出来事も、既視感を持つ面は多分にありますが、個人的には、その時々の制約の中で起きている分けですので、
繰り返しではないというのが持論です。
「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」

でも、結局は人間の起こす営みなんて、何千年経とうが、そんなに変わっていないからこそ、古典があるのも事実ですし、どうなんでしょうかね。(2025.9.9)

父の遺訓?

亡き父は、八男二女の10人きょうだいの末っ子でしたが、
家督を継いだ兄に跡取りがいなかった為、養子になり家を継いだ形となりました。

昭和一桁で地元の実業系の高校を卒業した経歴ですが、良くも悪くも昭和の時代の雰囲気を体現していました。

いわゆる学があるかといえば、そうでもないですが、大家族でもまれていたこともあり、
この地域の方言でいえば「すらい(機転が利く)」人物だったと思います。

父が亡くなって、20年近く経過しますが、父の残した言葉で忘れられず、この年齢になってしみじみ実感しているものがあります。
「人生の8割は、お金で解決できる。」
この言葉の受け取り方や解釈については、どこに力点をおくか等で様々でしょうが、
還暦を迎える年代になった自分には、絶妙な匙加減で、ある意味正鵠を得ているなと噛みしめている今日この頃です。(2025.9.8)

山口県の温泉

温泉県と言えるかどうか分かりませんが、山口県にも多数の温泉があります。

有名どころから、山陽随一の湯量を誇る山口市の湯田温泉、県内最古の歴史を持つ長門市の湯本温泉、同じ長門市の外湯文化の俵山温泉
その他にも、道の駅と併設している下関市豊田町の西市温泉や美祢市の於福温泉(その昔、NHKの夢千代日記の撮影で、吉永小百合さんが当時あった旅館を訪れた?)、県東部にも周南市の湯野温泉や岩国市のSozu温泉などなど
総じて、アルカリ性単純温泉系の高温の温泉が多い気がします。

そんな中、今回は幻になった?荒木温泉を紹介したいと思います。
美祢市から下関市豊北町の角島に向かう435号線の途中に、ほのかな硫黄の匂いが漂う一ノ俣温泉への入口、丁字路交差点があります。
かつて、そこに荒木温泉がありました。
母親の実家が荒木だった関係で、幼い頃に幾度となく通いました。
泉質は、一ノ俣温泉が近いので、同じような感じだったと記憶しています。
年齢を重ねると昔のことを美化する傾向がありますが、もう一度入浴してみたい温泉の一つです。(2025.9.6)

今年は・・・

令和7年、2025年は、昭和100年、終戦80年で、干支では乙巳(きのとみ)の年です。
乙巳の年は、古来より縁起の良い年とされており、
乙はしなやかに成長する力、巳は変化・成熟・区切りを意味し、変革と挑戦を象徴するともいわれているそうです。

60年前の昭和40年で巨人の9連覇が始まり、本格的な高度経済成長期の黎明期、
さらに、60年前は、日露戦争が終了して、ポーツマス条約が締結された年です。
何より、古代日本で蘇我氏の横暴を抑えて天皇親政を確立した出来事、大化の改新(645年)は、乙巳の変とも言われています。

今年も、残り三分の一余りとなりましたが、どんな変革が起きる年になるのでしょうか。(2025.9.5)

売家と唐様で書く三代目?

食欲の秋というが、秋は果物が美味しい季節です。
ロゴの由来でも書いたとおり、自分の実家は梨農家で、20世紀や新高という梨を栽培していました。

実家のある旧秋芳町北部は、篤農家の西村氏の尽力で戦前から20世紀梨の栽培が盛んでした。
当時は、「秋芳梨」ではなく、大字の地名の嘉万から「かまの梨」といわれることが多かったそうです。
昭和40年代後半に秋芳梨生産販売協同組合ができるまでは、大字よりも小さな単位の下嘉万や青景、堅田、芹湯の農家が集まって販売していたらしいです(うろ覚えです)。
平成初期頃には、80戸を超えた組合員数も今は20戸台になり、県内随一の梨生産地とはいえ、生産量も減ったそうです。
ただ、先人たちや今の生産者の努力もあって「秋芳梨」というブランドは評価されています。
カルスト台地特有の水はけの良い土壌に朝夕の寒暖の差が激しい気候で育った梨はシャキシャキかつみずみずしくとっても美味しいので、是非ともご賞味してみてください。

さて、祖父(とういよりも祖母が熱心だったそうですが)の代からほぼ専業農家として生業を立てていた小田村家ですが、二代目の父を経て、梨農家として三代目の自分で・・・
かつての梨畑は、兵どもが夢の跡となるところでしたが、辛うじて今は地元の若手農家が花粉を採取する樹を植樹して頂いてます。
まあ、何事も三代目は???ということで、ご容赦ください。(2025.9.4)

10万ハナゲの痛み

諸説あるが、三大激痛の一つに尿路結石の痛みがある。
この痛みだが、「ハナゲを一本、一気に引き抜いた時の痛さ」×10万らしい。

ご多分に漏れず、私も石持ちで、23歳で初めて発症して以来、幾度となく経験している。
もちろん、対外衝撃波(ESWL)という手術も10回はゆうに超えるくらいだ。
この病気については、ベテランという一家言持っています(笑)。
自分の場合は、腎臓から結石が出ると何故か腸の方に影響するのか、便の調子が悪くなる。
いわゆる、前門の虎後門の狼状態です。
このことを泌尿器科の医師に話したら、当たり前ですが、一顧だにされませんでした・・・

ただ、3,4年前に調子が悪く、これは絶対に尿管に石が落ちていると思い受診したが、
血尿もなく、レントゲンにも石の痕跡がなかったせいか、医師は気のせいではという反応だったが、
切々と訴えると、それでは念のため腎臓の様子をエコーで確認したら、パンパンに腫れていました。
その後、CTを撮って、めでたく石の存在を確認してもらえ、この時はESWLをしたと思います。
自分の石は体質的にシュウ酸カルシウム系のギザギザした石で、レントゲンに映りに難く、他の骨の位置と重なっていたらしいですが・・・

ということで、自分の体のことは自分が一番よく分かっていると実感した次第です。(2025.9.3)

くじの日のよろめき

今日9月2日は、語呂から「宝のくじ」の日らしいです。
それが理由でもないでしょうが、今朝の「あんぱん」は宝くじのCMきょうだいがそれぞれの持ち味を活かして、魅せられましたね。
CMでは妹で、のぶ役の今田美桜は、ストレートな表現で小気味いい感じも良かったですが、
兄の八木役の妻夫木聡の気持ちを抑えながら溢れてしまった演技に引き込まれました。
互いの指が絡みあった傘の中での余韻は、朝ドラとは思えない空気感です。

さて、私事ですが、このドラマを見るまで、ほぼ「今田美桜」という女優を知らなかったのですが、
実は一年くらい前に、一方的にメールをいただきました。
当時は彼女の存在を知らなかったので、直ぐに削除しましたが、
「えーーー、どうして返事くれないの。このアドレス、環奈のじゃあなかったの?」というような内容でした。
今だったら、返信してしまうかもです(笑)
皆さん、ロマンス詐欺には気をつけてくださいね。(2025.9.2)

防災の日

天災(災害)は忘れた頃にやってくる
という寺田博士の警句が無意味と思えるほど、
21世紀になってから、日本は大地震、豪雨と毎年のように襲われています。
また、ここ数年の猛暑というか酷暑の異常気象も、一種の災害といってよい気がします。
自分が中高生の頃は、猛暑日は数えるほどだったように記憶しています。

いくら人類の科学技術が進歩しようとも、雄大な大自然の脅威を前には、一定程度人間の無力さを感じざるを得ません。
一方で、古来から幾度となく発生した大地震の度に、復興してきた先人たちの叡智や努力、したたかさにも敬意をはせます。

必ず発生する南海トラフ巨大地震ですが、そのときに自分自身が何ができるかといえば、多分、何もできないでしょう。
ただ、その日が来た後には、先ずは自分の生活が落ち着いて後に、お役にたてることがあれば、力添えしたいと思います。
人類の底力を信じて・・・(2025.9.1)

逆転しない正義とは

私事ですが、朝のテレビ小説「あんぱん」を毎日、楽しみに視聴しています。
テレビ小説を本格的に見るのは、はね駒(斉藤由貴主演)以来なので、約40年ぶりです。
さて、このドラマのテーマとして、たかしとのぶ夫婦が、時代の流れに翻弄されながら、二人で逆転しない正義を探していくというのがあります。
一方で、のぶの妹のらんこは、戦争で愛しい人を失った経緯から絶対という言葉を否定しています。
今年は、第二次世界大戦が終了して80年、昭和100年の年ですが、当然それを踏まえているこのテレビ小説はいろいろなことを考えさせてもらえます。

絶対の正義なんてない、時代や地域、立場によって正義は異なるという価値相対主義的なことが受け入れやすい世相ですが、私的には、正義そのものの中身を問うことよりも、正義そのものがあるという誰しも思う感覚をこれから深掘りしていきたいと考えてます。(2025.8.26)

昭和の作家といえば

今年は、昭和100年ですが、実際の昭和は64年まででしたから、もう30代半ば以下の人からみたら、昭和は歴史の世界だと思います。
自分は、平成元年の年に大学を卒業していますので、多感な青年時代(笑)は、ほぼ昭和です。

昭和は、今やオールドメディアと揶揄されている新聞やテレビが圧倒的な影響力があり、紙の書籍というか本も一種のステイタスでした。
ということで、私的に昭和を代表する作家として、一人あげるなら、「石川達三」です。
文学史的には、流行作家の位置付けで、もはや新潮文庫でもほぼ在庫のない小説家ですが、実は第1回芥川賞作家でもあります。
受賞作は「蒼氓」という自らの経験をモチーフにした作品ですが、戦中は「生きている兵隊」で検閲処分の対象となり、言論弾圧も経験しています。
戦後は、色々な出来事をモチーフにした「風にそよぐ葦」「人間の壁」「金環蝕」という社会派小説で人気作家となる一方で、永らく新潮文庫の百冊に選出されていた「青春の蹉跌」や「悪女の手記」「四十八歳の抵抗」など、人の悲しみ、戸惑いを描く作品も多数あります。
私の記憶が確かなら(このフレーズも昭和ですが)、最後の作品は「若者たちの悲歌」だったと思います。

文壇でも、ペンクラブの会長や芥川賞の選考委員を務めるなど重鎮でしたが、野坂昭如氏と芥川賞の選考で見解の相違とか、とある文芸評論家には、通俗作家と言われるなど、純文学として評価されない面もありました。
ただ、個人的には、非常に読みやすい文体で、大学生のころ、一番好きというか、触れた作家でした。

その他にも、昭和といえば、昭和の年数と年齢が重なっている三島由紀夫やクリープを入れない珈琲なんてというCMに出演していた遠藤周作などもいらっしゃいます。
また、おいおい戯言で書きたいと考えています。(2025.8.27)

うどんの旅

好物で書いたとおり、めん類では、「うどん」が今は一番好きです。
ラーメンも蕎麦も、好きですが、一つ選ぶならうどんです。

まだ、幼い頃に、廃線の決まった美祢線の於福駅前にあった一寸亭(うろ覚えです。)や美祢駅の鬼笑亭で食べたうどんが原点なのかもしれません。
ただ、大人になってからは、それほどでも無かったですが、前職のある職場で、同僚に日帰りで本場香川県のうどんの旅に連れっていってもらって以来、うどん好き魂が蘇りました。
そのときは、山越→長田in香の香→山下を巡ったと思います。
その合間に、金比羅をお参りしたりして、山口から香川まで日帰りの旅を満喫できました。
何よりも、山口に帰って、まだ営業時間だったパチンコ店で、朝よりも財布が重たくなったことが・・・
(ちなみに、冬ソナもエヴァもストーリーは、パチンコ店で教えてもらいました。)

山口から香川までは距離があるため、頻繁に行くことはできませんが、
それでも、年に一回以上は日帰りで香川までうどんを食べに行ってます。
今は、先ずは坂出市の日の出製麵所からスタートするのが定番です。
ジョコビッチのように、グルテンフリーにはなれそうにないです・・・・(2025.8.28)

温泉へゆこう

誕生日が、いいふろ(1126)の日が原因なのか、30歳頃から、まあまあの温泉好きになりました。
通でもないですが、今まで行った中で、個人的に好きな温泉地を3つ紹介したいと思います。

・平山温泉(熊本県山鹿市)
 九州自動車道の南関インターが最寄りで、平成の大合併前は、平山町だったはず
 加藤清正が朝鮮出兵の疲れを癒した伝承があり、とろりとした泉質でほのかな硫黄州の香りとの組み合わせが心と体をリラックスさせてもらえます。食事も、豆腐や鶏(天草大王?)の炭火焼きもあり、ほど良い空気感が感じられる温泉地です。

・はげの温泉(熊本県小国町)
 温泉手形で有名な黒川温泉がある南小国町の隣の小国町にある温泉地です。
 小国町は、千円札の肖像になった北里博士の出身地でもあり、その記念館もあります。
 涌蓋山ふもとのはげの湯温泉は、旅館もですが、立ち寄り湯も充実しており、絶景が目を楽しませてくれます。湯量も豊富で、やや高めの温度が心身をきりっとさせてくれます。
 また、街中に湯気がわき立ち、それを活用した蒸し鶏が絶品です。こんなに食べれないと思っても、ほど良く油が落ちており、それでいて、ぱさぱさもしておらず、どんどん食が進みます。
 ただ、「はげ」は「ハレ」も意味しているからか、ケガには効きますが、毛には効能ないと思います(笑)
 
・長湯温泉(大分県竹田市)
 合併前は、確か直入町だったはず。
 日本一の炭酸温泉で、平成のころにヤンジャンで連載「温泉へゆこう」という漫画にも取り上げられた温泉地です。
 与謝野鉄幹、晶子夫妻も常宿にされた旅館や日帰り施設の「御前湯」や川の中にあるガニ湯とコンパクトながら、温泉フリークの心を満たしてくれます。炭酸泉なので、つかると肌につく気泡がラムネのようで、日常の喧騒を忘れさせてくれます。

 時間や財力の制約で、現在までは、九州が中心ですが、エリアを広げっていきたいと思います。(2025.8.29)

名字について

名字由来netというサイトによれば、
小田村という名字の人は、全国で約470人、順位としては12,989位(2025.8.31時点)らしい。
漢字や語呂からすると、それほど珍しい気もしないが三文字ということもあり、少しだけレアなのかもしれません。

生まれ育った小さな集落では、30戸のうち当時は10戸くらいが「小田村」姓であったので、幼い頃は普通の名字という感覚でした。
ただ、高校を卒業して、山口県外に出て、血縁以外で同じ名字の人と知り合いになったことはありませんでした。
いわゆる三文印でも在庫があることは珍しいです。
ちなみに試しに同じ名字の人が現役の司法書士にいないだろうかと検索したら、該当者は自分一人だけでした。
ということで、今時点、小田村という司法書士は、全国で一人です(笑)

小田村という名字で有名な方といえば、大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公・文(吉田松陰の妹)の2番目の夫・楫取素彦の旧姓が小田村ということくらいでしょうか。
そういうマイナーな名字ですが、小説の中で登場人物の中で描かれていることもありました。
一つは、辻井喬が暗夜遍歴で小田村大助(堤康次郎がモデル?)として描かれ、加賀乙彦が永遠の都の中で山口県須佐町の出身の医者として登場させています。
お二人とも、鬼籍に入られており、この名字の人物を描かれたきっかけをお聞きすることはできませんが・・・

さて、生まれ育った集落ではメジャーであった小田村という名字ですが、今は数戸になっています。
今、住んでいるところから数十分のところでもあるので、何とかしないといけないと決意と反省の日々です。(2025.8.31)

小田村司法書士事務所
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